2025年12月7日更新.2,681記事.

調剤薬局で働く薬剤師のブログ。薬や医療の情報をわかりやすく伝えたいなと。あと、自分の勉強のため。日々の気になったニュース、勉強した内容の備忘録。

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大腸菌が身体を守る?

悪者のイメージが強い「大腸菌」

「大腸菌」と聞くと、多くの人が「食中毒」や「不衛生」といったマイナスのイメージを思い浮かべるでしょう。
しかし実際には、大腸菌は人間の腸内に常在する共生微生物の一つであり、体の防御機構を支える“仲間”でもあります。

そんな大腸菌の力を応用してつくられた薬が、痔の治療薬「ポステリザン軟膏」(現在の強力ポステリザン軟膏)です。
この薬には「大腸菌死菌浮遊液(E. coli extract)」という成分が配合されています。
「菌が入った薬」と聞くと少し驚くかもしれませんが、実はこの“死んだ大腸菌”こそが、炎症を鎮め、傷の治りを助ける重要な働きをしています。

1.大腸菌の力を利用した薬の誕生

1-1.1920年代ドイツでの発見
この発想の原点は、今から100年以上前、1922年のドイツにさかのぼります。
研究者PiorkowskiとBonninは、大腸菌の死菌(すでに殺菌された菌体)を用いた実験で、他の細菌の増殖を抑える作用があることを報告しました。
さらに、Bonninは「大腸菌ワクチン」の考え方に基づき、この死菌液を痔核などの肛門疾患の治療に応用したのです。

その結果、創傷の治癒促進や局所感染の防御に効果があることが明らかになり、1922年、ドイツのドクトル・カーデ製薬(Dr. Kade Pharma)が「ポステリザン軟膏」「ポステリザン坐薬」を発売しました。
この薬は、当時としては画期的な“バイオ医薬品”でした。

1-2.強力ポステリザンの誕生
さらに1950年代になると、同社はポステリザン軟膏に抗炎症作用をもつヒドロコルチゾン(ステロイド)を配合した新製剤を開発します。
これが「強力ポステリザン軟膏」です。1957年に発売され、日本にも導入されました。

製品名
・ポステリザン軟膏:大腸菌死菌浮遊液・・・創傷治癒促進・感染防御・免疫調整
・強力ポステリザン軟膏:大腸菌死菌浮遊液+ヒドロコルチゾン・・・抗炎症+創傷治癒促進
・ボラザG軟膏:大腸菌死菌+ステロイド+局所麻酔剤・・・痛み・腫れ・炎症の多面的緩和
・エキザルベ:混合死菌浮遊液+ヒドロコルチゾン・・・創傷治癒促進・抗炎症作用

このように、大腸菌死菌を中心成分にした薬は、痔・裂肛・肛門炎などの治療に長年使われ続けてきました。

2.大腸菌死菌のしくみ:なぜ“死んだ菌”が効くのか?

2-1.ワクチンのように「免疫のスイッチ」を入れる
「大腸菌死菌浮遊液」は、生きた菌ではなく完全に殺菌処理された非病原性の大腸菌です。
したがって感染の危険はありません。

体に塗布されると、この死菌成分が皮膚や粘膜の免疫細胞(マクロファージや樹状細胞など)を刺激し、免疫系が「敵が来た」と勘違いして活性化します。
この免疫刺激によって、白血球の遊走(患部への移動)が促され、炎症性物質のバランスが整い、感染に強い局所環境が生まれます。

つまり、「免疫を少しだけ“鍛える”」という考え方です。
これが「ワクチンのような働き」と言われる理由です。

2-2.傷の治りを早める「肉芽形成促進作用」
大腸菌死菌には、マクロファージなどの免疫細胞を活性化することで、肉芽形成(新しい組織の再生)を促す作用もあります。
創傷治癒のプロセスでは、炎症 → 増殖 → 修復の3段階があり、その中の「増殖期」でこの作用が特に重要です。

結果として、
・出血が止まりやすくなる
・粘膜の修復が早まる
・炎症が長引かない

といった効果が得られます。これは、痔や裂肛の治療に理想的な作用です。

2-3.肛門という「菌の最前線」を守る
肛門は消化管の出口であり、腸内細菌がもっとも多く存在する場所でもあります。
排便時には常に外界の細菌と接触するため、感染防御が非常に重要です。
大腸菌死菌は、その免疫刺激作用によって肛門の粘膜防御力を高め、“腸内細菌の世界”に順応した防御機構をサポートします。

つまり、腸内細菌の力を「外からも利用して、体を守る」――そんなユニークな仕組みを持った薬なのです。

3.微生物がもたらす“浄化と防御”という共通点

興味深いことに、この「大腸菌が体を守る」という発想は、自然界にも通じます。
たとえば、汚れた水が川の流れの中で徐々にきれいになる「自浄作用」。
これは、川にすむ微生物が有機物(汚れ)を分解して水を浄化している現象です。

この働きを人工的に応用したのが「活性汚泥法」と呼ばれる下水処理技術。
微生物の力で水をきれいに保つという仕組みです。

つまり、
「微生物が環境をきれいにする」
「微生物が体の炎症を整える」
どちらも“生命を守る浄化システム”という点で、本質的に似ています。

大腸菌死菌を使った薬は、まさに「微生物による体の自浄作用」を医薬品として再現したともいえるのです。

4.現代医学における「菌と免疫」の関係

4-1.常在菌は“敵”ではない
現代の免疫学では、「人間の健康は腸内細菌など常在菌との共生によって保たれている」という考え方が主流です。
腸内フローラ(腸内細菌叢)は免疫細胞の発達に大きく関わり、外敵(病原菌)を見分ける訓練場として機能しています。

大腸菌死菌を用いた薬は、この共生のメカニズムを局所的に応用したものといえます。
腸内にすむ菌の一部を、皮膚や粘膜に“再教育材料”として与える――それによって、免疫のバランスが整うのです。

4-2.“菌を活かす治療”の広がり
こうした「菌の力を借りる」治療法は、痔の薬に限った話ではありません。
たとえば:

・ヨーグルトやプロバイオティクス:腸内環境を整え、アレルギーや感染症の予防に寄与。
・バクテリアセラピー:特定の菌株を使って免疫疾患や皮膚病を改善する研究が進行中。
・糞便移植(FMT):腸内フローラを丸ごと移す医療技術として臨床応用されています。

つまり、私たちは今、「菌と共に生きる医療」の時代に入っているといえます。

5.“大腸菌が身体を守る”という発想の価値

大腸菌死菌のような成分は、決して目立つ存在ではありません。
しかし、抗生物質や強いステロイドに頼らず、体の自然な防御力を整えるという点で、非常に重要な位置づけにあります。

痔のような慢性炎症性疾患では、「炎症をただ抑える」だけでは再発を防げません。
ポステリザン軟膏のような薬は、炎症を鎮めながら“治す力”を高めるという、現代の免疫療法的なアプローチをいち早く実現していたともいえるのです。

6.まとめ:微生物は敵ではなく、“共に生きるパートナー”

・大腸菌死菌とは:非病原性大腸菌を殺菌・抽出した免疫調整成分
・主な作用:白血球活性化・肉芽形成促進・感染防御・創傷治癒促進
・含有製剤:強力ポステリザン軟膏、ボラザG軟膏、エキザルベなど
・安全性:死菌のため感染リスクなし
・医学的意義:局所免疫を整え、自然治癒力を高めるバイオ医薬的製剤

終わりに:菌と共にある医療へ

かつて「菌」は病気の原因とされ、徹底的に排除される存在でした。
しかし21世紀の医療は、むしろ「菌を理解し、利用する」方向へ進んでいます。
大腸菌死菌を使ったポステリザン軟膏の歴史は、その先駆けでした。

体を守るのは、白血球だけではありません。
微生物もまた、私たちの身体の一部として、静かに健康を支えているのです。

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