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「自分が呼ばれた」と勘違いする心理
公開. 更新. 投稿者: 69 ビュー. カテゴリ:調剤/調剤過誤.この記事は約5分4秒で読めます.
目次
「自分が呼ばれた」と思ってしまう心理― 薬局で頻発するWishful Hearing(期待聴取)と患者取り違え防止策

薬局で患者さんを呼んだとき、全く違う名前の方が投薬口に来てしまう――。
薬剤師なら、ほぼ全員が経験する“あるある”でしょう。
たとえば、
薬剤師「山田太郎さま〜」
待合の別の患者「あ、自分だ!」と立ち上がり投薬口へ
薬剤師:「あ、申し訳ありません。別の方をお呼びしました」
こんな場面に、肝を冷やすことも少なくありません。
では、なぜ患者さんは明らかに違う名前を「自分だ」と思い込んでしまうのでしょうか?
ここに関係する心理現象の一つが Wishful Hearing(期待聴取) です。
・Wishful Hearingとは何か
・なぜ薬局の「名前呼び出し」で起きやすいのか
・認知心理と待合室の環境から考えるリスク
・薬局側でできる対策(特に薬剤師の呼び方の工夫)
・患者さんへの説明に使える言い回し
を、薬局現場の視点で掘り下げます。
Wishful Hearing(期待聴取)とは?
「聞きたいように聞こえてしまう」心理現象
日本の安全管理文脈では、Wishful Hearing=言われた内容を、自分の期待に合わせて誤って聞き取ってしまう現象 と説明されています。航空・鉄道・医療などの分野では、重大インシデントの引き金にもなるとされており、
・本当は違う指示が出ているのに
・「こう言われるはず」と思いながら聞いてしまい
・結果として「望ましい内容」に脳内修正してしまう
というプロセスが危険視されています。
「動機づけられた知覚」によって聴覚が偏る
心理学的には、動機づけられた知覚(motivated perception) の一種と説明できます。
・見たいものを見てしまう → Wishful Seeing
・聞きたいことを聞いてしまう → Wishful Hearing
・「そうであってほしい」「自分の番であってほしい」
という期待が、耳に入った音の解釈そのものに影響します。
名前呼びで起きる心理:カクテルパーティ効果と期待
雑音の中でも「自分の名前」は拾いやすい
人間は、雑音の中でも特定の情報(特に名前)に反応しやすいという カクテルパーティ効果 が知られています。
待合室がざわついていても、
・テレビの音
・周囲の話し声
・咳払い
・医療機器の音
といった雑音の中から、自分の名前だけは強く注意を引きます。
期待が重なると「自分だ」と決めつける
さらに待ち時間が長く、呼ばれる直前の感覚があると…
・そろそろ自分だ
・早く帰りたい
・次の予定がある
という気持ちが強くなり、Wishful Hearingが働きやすくなります。
つまり、
「名前に反応しやすい」+「呼ばれたい気持ち」
が合わさることで、全く違う名前が“自分に聞こえる” のです。
「聞き違え」を増やしてしまう薬剤師側の行動
ここで、薬局側に原因がある場合もあります。
多くの薬剤師が無意識にしてしまう行動――それは 患者の顔を探しながら呼ぶこと です。
待合室を見渡しながら「山田太郎さま〜」
特に新患さんや顔を覚えていない患者さんの場合、
「どの方だったかな?」と思いながら呼ぶため、無意識に待合を見渡し、個々の患者と目が合ってしまう
このとき、患者側はこう感じます。
・目が合った → 呼ばれた気がする
・自分を見て呼んでいる気がする
・名前は違った気がするが、目が合ったので自分だろう
結果、 “名前”より“アイコンタクト”を優先して立ち上がる ケースが生まれます。
「視線による指名」は強力なサイン
人間には、視線を手がかりに「自分が指名された」と判断する傾向があります。
そのため、
名前の音声より「目が合ったこと」が強く作用してしまう
というパラドックスが起こるのです。
目を合わせない方が安全
これを踏まえ、現場の工夫として有効なのが、
「顔のわからない患者を呼ぶときは、あえて目線を待合に向けない」
という方法です。
具体的には、
・投薬口とは逆方向や手元の処方箋を見ながら呼ぶ
・視線を合わせずに「音声のみ」で伝える
など、 視線で誤解を与えない配慮 が安全面で有効です。
「取り違え」が危険な理由 ― LASA薬との複合リスク
名前の聞き間違いは、「よくあること」で済まされがちですが、
それが投薬ミス(患者取り違え)につながれば一気に重大事故に変わります。
さらに、
・薬の名前が似ている(LASA薬)
・用量が少し違う
・別疾患の薬が含まれている
・服用ルールが特殊(抗凝血薬、抗てんかん薬、ステロイド等)
といった状況が重なると危険性は跳ね上がります。
つまり、患者取り違えは「名前の聞き間違い」という小さなトリガーで起きる という点を安全管理上、強く認識する必要があります。
薬局側でできる具体的対策
呼び出し方(音声側)の工夫
方法とポイント
・フルネーム+一拍置いて繰り返す:聴覚確認の時間を患者側に与える
・受付番号との併用:名前だけに依存しない
・クリニック名や診療科も添える:同姓同名対策として有効
・生年月日の確認を呼び出し時に組み込まない(投薬口で確実に確認):待合案内での個人情報読み上げは避ける
呼び出すときの「視線」にも対策
視線の工夫:理由
・顔のわからない患者は目を見ずに呼ぶ:アイコンタクトで誤って立たせない
・待合をスキャンしない:“自分を探している”と誤解される
・手元や処方箋を見ながら呼ぶ:音声だけで認識してもらうため
投薬口での本人確認は「名乗ってもらう」
薬剤師:「○○さまですね?」と聞くのは危険です。
患者はつい「はい」と答えてしまいます。
必ず、
「恐れ入ります。お名前と生年月日をお願いできますか?」
と 本人から申告してもらう方式 を標準化します。
患者さんに説明するときの言い方
「毎回名前と生年月日を聞くのは失礼では?」
と感じる薬剤師もいますが、患者さんへの伝え方ひとつで印象は変わります。
「どなたにも起こる自然な聞き間違いを防ぐために、毎回お名前と生年月日を確認しております。どうぞご協力をお願いいたします。」
「患者さんが悪いのではなく、人間の脳の仕組みによるものですので、安全のためにご協力いただいております。」
ポイントは、
患者の注意不足ではなく、人間の仕組みである
と伝えること。これだけで納得度が高まります。
まとめ ― Wishful Hearingを“仕組み”で防ぐ
・人は雑音の中でも自分の名前に強く反応する(カクテルパーティ効果)
・「自分の番であってほしい」という期待が重なると、違う名前を“自分だ”と聞き違える(Wishful Hearing)
・さらに薬剤師が視線で患者を探しながら呼ぶと、「自分が呼ばれた」と勘違いを強化する
・投薬時の取り違えは、小さな聞き間違いから重大事故につながる可能性がある
・対策は 視線の配慮+呼び出し方+本人確認の仕組み化
“人間の脳は間違える”ことを前提に、仕組みで安全を守る。
その視点が、薬局のインシデントを確実に減らします。




