記事
HIF-2α阻害薬ウェリレグとHIF-PH阻害薬の違い
公開. 更新. 投稿者:癌/抗癌剤.この記事は約6分26秒で読めます.
98 ビュー. カテゴリ:目次
HIF-2α阻害薬ウェリレグとHIF-PH阻害薬の違い
2025年6月6日の薬事審議会医薬品第二部会で、腎細胞がん治療薬「ウェリレグ錠」(一般名:ベルズチファン)の製造販売承認が了承された。
近年、「HIF(低酸素誘導因子)」を標的とした薬が登場し、がんや貧血といった病気の治療に新しい選択肢をもたらしています。「HIFってそもそも何?」「ウェリレグとHIF-PH阻害薬ってどう違うの?」という疑問を勉強していきます。
そもそもHIFってなに?
HIFの研究はその重要性から高く評価されており、2019年には「低酸素応答の仕組みの解明」として、HIFの発見に関わった科学者たちがノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
HIF(低酸素誘導因子:Hypoxia Inducible Factor)とは、「低酸素のときに働くタンパク質」です。体の中の細胞は、酸素が足りなくなると困ります。そんなときに、HIFがスイッチを入れて、「酸素が足りないから対策しよう!」と遺伝子に命令するのです。
HIFの働き:
・新しい血管を作る(酸素を届けるため)
・赤血球を増やす(酸素を運ぶ力を強くする)
・細胞がエネルギーを作るしくみを変える(酸素がなくても生きられるように)
HIFにはいくつか種類がありますが、特に重要なのがHIF-1αとHIF-2αです。
HIF1は、多くの細胞で発現し、嫌気性解糖など、低酸素下での代謝反応に関与します。一方、HIF2は、特定の組織や細胞、例えば血管内皮細胞や腎臓において、主にEPO合成や鉄代謝に関与します。
普段はHIFってどうしてるの?
酸素が普通にあるとき(=常に酸素が足りている状態)では、HIFはすぐに分解されてしまいます。
分解のしくみ:
・酸素があると、PH(プロリルヒドロキシラーゼ)という酵素がHIFを修飾します(“目印”をつける)。
・その目印をもとに、VHLタンパク質が「いらないタンパク」と判断して分解させます。
つまり、酸素がある=HIFはいらない=壊す!という状態です。
HIFが壊れないとどうなる?
酸素が足りなくなると、PHDが働かなくなってHIFが分解されません。すると、HIFがどんどんたまって、
・血管を増やしたり
・赤血球を増やしたり
といった低酸素対策が始まります。
でも、これががん細胞の中で起こると、
・がんが血管を勝手に増やして栄養を取ってしまう
・がん細胞が生き残りやすくなる
という、がんにとって都合のいい状況になってしまうのです。
HIFをうまく使った薬:2つの方向性
HIFを標的にした薬には、次の2つのタイプがあります。
・HIF-PH阻害薬:HIFをあえて安定化させる➡腎性貧血の治療
・HIF-2α阻害薬(ウェリレグ):HIF-2αを直接ブロックする➡がん(特に腎がん)の治療
この2つは、まったく逆の働きをします。
腎性貧血と腎細胞がんにおけるHIFの挙動の違い
■ 腎性貧血におけるHIFの挙動:機能低下
腎性貧血では、以下のようにHIFの働きが不十分になります:
・腎機能障害によりエリスロポエチン(EPO)産生能が低下。
・本来、HIFは低酸素状態で活性化し、EPO遺伝子の転写を促す。
・しかし、腎障害によってHIFが十分に発現・安定化しなくなるため、EPOも作られにくい。
・そのため、HIF-PH阻害薬(HIFの分解を抑制し、活性化する薬)が有効。
腎性貧血では「HIFが働いてほしいのに働かない」状態です。
■ 腎細胞がんにおけるHIFの挙動:異常な活性化
一方、腎細胞がん(特に淡明細胞型)では、HIFが過剰に活性化されてしまっています。その理由は:
・多くの淡明細胞型腎細胞がんでは、VHL遺伝子の変異が認められます。
・VHL(Von Hippel–Lindau)遺伝子は、HIF-αタンパクを分解に導く重要なタンパク質。
・つまり、VHL遺伝子が壊れると、HIF-αが分解されずに異常に蓄積。
・これにより、がん細胞内でHIFが常に活性化 → VEGF(血管内皮増殖因子)やPDGFなどの血管新生や増殖因子が過剰に発現。
腎細胞がんでは「HIFが働きすぎて腫瘍を助けてしまう」状態です。
・腎性貧血:腎機能障害によってHIFが不活性化 → EPOが作れず貧血
・腎細胞がん:VHLの異常によりHIFが異常活性化 → がんの増殖促進
腎臓が舞台であっても、「腎性貧血=HIFの機能低下」「腎細胞がん=HIFの異常活性化」というまったく逆のメカニズムが働いていることが重要です。
HIF-PH阻害薬による発がんリスク
現時点では、HIF-PH阻害薬がヒトにおける発がんリスクを明確に高めるという証拠はありませんが、理論的な懸念は存在し、慎重なモニタリングが必要とされています。
■なぜ懸念されるのか(HIFのがん促進作用)
HIF(特にHIF-1αやHIF-2α)は以下のがん促進的な作用を持っています:
・血管新生の促進(VEGFなどを誘導)
・細胞増殖や生存の促進
・がんの代謝再構成(Warburg効果)への関与
・浸潤・転移の促進
腎細胞がんではVHL遺伝子異常→HIF-2α活性↑→がん進行という図式が明らかになっており、逆にHIF-2α阻害薬(例:ウェリレグ)が新薬として登場したほどです。
■HIF-PH阻害薬はどこまでHIFを活性化する?
・生理的範囲内での活性化 HIF-PH阻害薬は、あくまでHIFの分解を一時的に抑えるだけ。病的なVHL異常のように持続的なHIF過剰活性にはならないとされています。
・HIFの標的遺伝子は選択的 薬剤によるHIF活性化のパターンは、がんでのHIF過剰とはやや異なる遺伝子発現プロファイルを持つという報告もあります。
・とはいえ過剰投与・長期使用は未知数 特にがん家系や既往がある患者への長期使用には慎重になるべきとの意見も。
■動物実験での報告
一部のマウス実験では、HIF活性化によって腫瘍増殖が促進されるというデータもあり。
ただし、これらは高用量・長期間・がん誘導モデル下の結果であり、ヒトへの直接的適用には限界があるとされています。
■臨床での扱い:慎重投与・禁忌設定
以下のような安全対策が取られています:
・悪性腫瘍の既往がある場合:多くのHIF-PH阻害薬で慎重投与の扱い。
・現在がん治療中の患者:原則的にHIF-PH阻害薬は使用しない。
・長期予後を要する若年患者:発がんリスク管理の観点から、経過観察を厳密に。
■現在のガイドラインや添付文書の記載例
・HIF-PH阻害薬(エナロイ、バフセオ、エベレンゾ、ダーブロック、マスーレッド)の添付文書の「特定の背景を有する患者に関する注意」には、「悪性腫瘍を合併する患者:本剤の血管新生亢進作用により悪性腫瘍を増悪させるおそれがある。」との記載がある。
・発がん性は否定されてはいないが、確認もされていないため慎重という立場。
HIF-PH阻害薬ってどんな薬?

●HIF-PH阻害薬の一覧
医薬品名 | 一般名 | 規格剤形 | 用法の特徴 | 用法用量 |
---|---|---|---|---|
エナロイ | エナロデュスタット | 錠(2mg、4mg) | 毎日、食前 | 保存期慢性腎臓病患者及び腹膜透析患者:1回2mgを開始用量とし,1日1回食前又は就寝前 血液透析患者:1回4mgを開始用量とし,1日1回食前又は就寝前 |
バフセオ | バダデュスタット | 錠(150mg、300mg) | 毎日 | 1回300mgを開始用量とし、1日1回 |
ダーブロック | ダプロデュスタット | 錠(1mg、2mg、4mg、6mg) | 毎日 | 保存期慢性腎臓病患者: (赤血球造血刺激因子製剤で未治療の場合)1回2mg又は4mgを開始用量とし、1日1回 (赤血球造血刺激因子製剤から切り替える場合)1回4mgを開始用量とし、1日1回 透析患者:1回4mgを開始用量とし、1日1回 |
マスーレッド | モリデュスタット | 錠(5mg、12.5mg、25mg、75mg) | 毎日、食後 | 保存期慢性腎臓病患者: (赤血球造血刺激因子製剤で未治療の場合)1回25mgを開始用量とし、1日1回食後 (赤血球造血刺激因子製剤から切り替える場合)1回25mg又は50mgを開始用量とし、1日1回食後 透析患者:1回75mgを開始用量とし、1日1回食後 |
エベレンゾ | ロキサデュスタット | 錠(20mg、50mg、100mg) | 週3回 | 赤血球造血刺激因子製剤で未治療の場合:1回50mgを開始用量とし、週3回 赤血球造血刺激因子製剤から切り替える場合:1回70mg又は100mgを開始用量とし、週3回 |
・一般名:ロキサデュスタット(商品名:エベレンゾ)など
・働き:HIFを壊すPH酵素をブロックして、HIFを長持ちさせる
効果:
・HIFが赤血球を増やす命令を出す→貧血が改善!
・鉄の代謝もよくなる→鉄剤の使用量が減ることも
主な対象:
・慢性腎臓病の人の貧血(透析の有無を問わず)
メリット:
・注射ではなく飲み薬
・ESA(赤血球を増やす注射薬)より自然な作用
注意点:
・高血圧、電解質異常などの副作用がある
・長期的な影響(がん化リスクなど)はまだ完全にはわかっていない
HIF-2α阻害薬ってどんな薬?

・一般名:ベルズチファン(Belzutifan)
・商品名:ウェリレグ錠40mg(MSD社)
効能・効果:
・がん化学療法後に増悪した根治切除不能または転移性の腎細胞がん(RCC)
・フォン・ヒッペル・リンドウ病(VHL病)関連腫瘍(希少疾病用医薬品)
特徴:
・世界初のHIF-2α選択的経口阻害薬(ファースト・イン・クラス)
・腎がんの第2選択薬として期待されている
・海外では40以上の国で承認(VHL関連)、30以上の国でRCC適応も承認済み
投与方法:
・通常成人に1日1回120mgを経口投与(適宜減量可能)
注意点:
・副作用に貧血、低酸素症、疲労、悪心など
・妊娠中禁忌、ホルモン避妊薬との併用注意
項目 | HIF-PH阻害薬(エベレンゾなど) | HIF-2α阻害薬(ウェリレグ) |
---|---|---|
標的 | HIFを壊す酵素(PHD) | HIF-2αタンパクそのもの |
HIFの働き | 高める(活性化) | 止める(阻害) |
適応 | 腎性貧血 | がん(腎細胞がん、VHL関連) |
効果 | 赤血球増やす、貧血改善 | 血管新生抑える、腫瘍縮小 |
副作用 | 高血圧、電解質異常など | 貧血、疲れ、低酸素など |
おわりに
HIF関連薬は、「同じHIFをターゲットにしていても、まったく逆の方向から作用する」という非常にユニークな薬たちです。
・HIFを活性化して貧血を治す(HIF-PH阻害薬)
・HIFを抑えてがんを治す(HIF-2α阻害薬)
このような戦略の違いを理解することは、薬学的視点を持つうえでとても重要です。
HIFはこれからも医療の現場で注目され続ける分子です。ぜひ、今のうちからしっかりと仕組みを理解しておきましょう。