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ソリブジンは危険な薬だったのか?
公開. 更新. 投稿者:副作用/薬害.この記事は約4分28秒で読めます.
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ソリブジン事件とは何だったのか?―薬の相互作用が招いた薬害とその教訓

1993年、日本で発売された新しい抗ウイルス薬「ソリブジン(商品名:ユースビル)」が、わずか1年足らずで市場から姿を消しました。理由は、がん治療薬フルオロウラシル(5-FU)との併用によって15名の死亡事故を引き起こすという深刻な薬害が発生したからです。
この事件は「ソリブジン事件」として、薬剤相互作用による薬害の代表例として現在でも薬学教育や医療現場で語り継がれています。本記事では、なぜソリブジンは期待されながらも市場から姿を消したのか、相互作用のメカニズムと教訓、そして今後に生かすべき視点について解説します。
ソリブジンとは?期待されていた抗ウイルス薬
EBウイルスにも有効な新薬
ソリブジン(一般名:ブリブジン)は、ヘルペスウイルスに対して高い効果を持つ抗ウイルス薬です。特に当時の第一選択薬であったアシクロビルでは効果が乏しかったEBウイルスにも有効とされ、帯状疱疹や単純ヘルペスだけでなく、難治性のウイルス感染に対しても期待されていました。
日本初の承認、そして市場投入
1993年に日本で製造販売が承認され、ブリストル・マイヤーズ株式会社から「ユースビル」という商品名で発売されました。服用は1日1回で済み、副作用も比較的軽微(3.5%程度)とされていたため、高齢者やがん患者など体力の低下した人にも使いやすい薬として注目されていました。
ソリブジン事件の概要
5-FUとの併用で起きた15人の死亡事故
発売からまもなく、ユースビルを服用していた患者が次々と白血球減少、血小板減少、骨髄抑制といった重篤な副作用を発症し、そのうち15名が死亡するという事態が発生しました。原因は、がん治療に使われる抗悪性腫瘍薬「フルオロウラシル(5-FU)」との相互作用によるものでした。
この「ソリブジン事件」は、日本の薬害史において特に象徴的な事例として語られています。
相互作用のメカニズム:なぜ命を落とすに至ったのか?
ブロモビニルウラシル(BVU)とDPD阻害
ソリブジンは体内で代謝され、活性代謝物であるブロモビニルウラシル(BVU)に変換されます。このBVUは、5-FUの代謝に不可欠な酵素ジヒドロピリミジンデヒドロゲナーゼ(DPD)に結合し、不可逆的に阻害します。
つまり、ソリブジンを服用するとDPDが機能しなくなり、通常であれば代謝・分解されるはずの5-FUが体内に蓄積し、血中濃度が異常に高くなってしまうのです。
骨髄抑制による致命的な副作用
その結果、5-FUの副作用である骨髄抑制(白血球減少、好中球減少、血小板減少など)が重篤化し、感染症や出血などで死亡するケースが相次ぎました。しかもこの相互作用は投与時点で重ならなくても、数日~1週間程度の間隔であっても致命的となることが判明しています。
防げた薬害だった?治験段階の見落とし
治験中にすでに死亡例が存在していた
驚くべきことに、ソリブジンの治験段階において、すでに5-FUとの併用で3件の死亡例が報告されていたという記録があります。つまり、相互作用のリスクは開発段階で既に把握されていた可能性が高いのです。
構造式からも予測可能だった相互作用
さらに、ソリブジンの構造式からはDPD阻害の可能性が推測できたとも言われています。製薬会社や当局が、このリスクに真剣に向き合い、添付文書に「併用禁忌」として強く記載していれば、あるいは医療現場への情報提供が十分になされていれば、被害は防げた可能性があります。
なぜここまで被害が拡大したのか?
がん告知の不徹底と情報の断絶
当時、日本ではまだ「がん告知」が一般的ではありませんでした。家族だけにがんの事実を伝え、本人には知らせないという風潮が残っていたため、がん患者自身が自分の治療に使われている薬を知らず、抗ウイルス薬を求めて別の病院を受診することがありました。
その結果、「5-FUを使っている患者であること」を知らないまま、ソリブジンを処方してしまう事態が発生したのです。
医療機関間の連携不足
がん治療を行う病院と、一般感染症を診る診療所の間に情報連携がなかったため、薬剤の併用リスクが共有されず、悲劇的な薬害へと発展しました。
ソリブジン事件が残した教訓
薬物相互作用の情報提供の重要性
本事件は、「医薬品の相互作用に対する認識不足」がいかに重大な結果をもたらすかを証明する事例です。製薬企業、規制当局、医療現場、薬剤師など、すべての関係者が相互作用のリスクを把握し、共有する体制づくりが求められます。
医薬品の承認・市販後監視の強化
承認時には限られた症例しか評価されませんが、市販後には想定されなかった使われ方がなされることがあります。そのため、市販後調査(PMS)や副作用報告制度が今後さらに重要となることが示された事件でもあります。
医療情報の共有と患者主体の医療
患者自身が「自分が何の治療を受けているか」を知り、医療者にも正確に伝えることが、薬害防止には不可欠です。そのためには、診療情報提供書(紹介状)の活用や電子カルテの共有化など、医療機関を越えた情報連携が今後の課題となります。
ソリブジンは「危険な薬」だったのか?
誤解してはいけないのは、ソリブジン自体は比較的安全性の高い薬だったという点です。単独での副作用は軽微であり、適切な使い方さえされていれば、多くの患者にとって有用な選択肢であった可能性があります。
つまり、ソリブジンは「危険な薬」だったのではなく、「危険な使い方をされた薬」であり、人災によって市場から葬られた薬だったとも言えます。
まとめ:今に活かすべき「ソリブジン事件」の教訓
ソリブジン事件は、医薬品の相互作用に対する警鐘であると同時に、医療者と患者、そして社会全体がどのように薬と向き合うべきかを問いかけた出来事でもあります。
・相互作用は「見えない副作用」ともいえる
・情報提供がなければ「安全な薬」も「危険な薬」になる
・医療機関の分断とがん告知の慣習が悲劇を拡大させた
・現代においては、電子カルテや服薬情報の連携が不可欠
この事件を風化させず、過去から学び、未来の医療に活かすことが、今を生きる私たちに求められている姿勢ではないでしょうか。