2025年8月8日更新.2,570記事.

調剤薬局で働く薬剤師のブログ。薬や医療の情報をわかりやすく伝えたいなと。あと、自分の勉強のため。日々の気になったニュース、勉強した内容の備忘録。

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医療従事者の倫理観を問う─功利主義、義務論、生きることの意味

哲学的思考実験と倫理観

「1人を犠牲にすれば5人が助かるなら、それは正義なのか?」

医療現場に携わる人々は、日々の診療や判断の中でこのような問いに直面することがあります。もちろん、現実は思考実験ほど単純ではありませんが、「誰かの命を救う」という目的の前では、時に倫理の根幹が揺さぶられるような決断が求められるのも事実です。

臓器くじ:最大多数の幸福か、それとも人間の尊厳か

◆臓器くじ(サバイバル・ロッタリー)とは?:

ある架空の制度では、くじ引きによってランダムに1人が選ばれ、その人の臓器を摘出して移植を待っている5人を救うことができます。この制度により、より多くの命が救われるのです。

功利主義に立つならば、「多数を救う」という目的が最優先され、犠牲者の個人の権利は相対化されます。しかし、直感的に多くの人がこの制度に嫌悪感を覚えるのはなぜでしょうか?

それは、医療従事者が患者を「守るべき対象」として見ているからです。倫理的視点でいえば、患者を手段にしてはならないという「カント倫理学(義務論)」の原則が根底にあります。たとえ多数が助かる結果が見込まれたとしても、個人の尊厳を踏みにじる行為が医療の場で許されることはありません。

この思考実験は、移植医療や臓器提供に関わる医療者にとって、自らの信念と制度のバランスを再考させるきっかけになります。

トロッコ問題:積極的関与と消極的傍観

◆問題の概要:
線路の上に5人が縛られており、トロッコがこのまま進むと5人は死亡します。別の線路に切り替えれば1人だけが犠牲になります。あなたはレバーを引くべきか?

功利主義では「5人>1人」という単純な数の論理でレバーを引くことを選びます。一方で義務論は「人を手段にしてはいけない」「誰も殺すべきではない」という立場をとり、何もしないことを選びます。

医療従事者にとって、これは「延命治療を中止するか否か」という問題と重なります。延命を続けることが患者に苦痛を与えるのであれば、中止することで患者にとっての『最善』を選ぶ、という状況です。

しかし、治療の中止は、外から見ると“手を引いた”ことで死が訪れたように映る。「自分の行動によって死が引き起こされた」と感じるか、「放置した結果そうなった」と感じるかで、倫理的責任の重みが変わってきます。

カルネアデスの板:生存本能と道徳律

◆逸話の紹介:
難破船の乗組員2人が、1枚の板にすがりつこうとした。しかし、その板は1人を支えるのがやっと。先に板にいた者が、後から来た者を突き飛ばし、自分だけ助かった。この者は裁判にかけられるが、「緊急避難(刑法第37条)」により無罪となる。

この話は、自己保存の本能と社会的道徳の衝突を示す典型例です。

医療の場においても、たとえば「災害時に医療リソースが不足している」状況では、助かる見込みが高い人を優先的に救う“トリアージ”が行われます。これは、ある意味で「突き飛ばす判断」にも等しいものです。

このとき、「助けられなかった命」に対する罪悪感をどう処理するか」が医療従事者の精神的負担になります。

トリアージの指針はあっても、それに従って行動した医療者が「正義の実行者」と見なされるかどうかはまた別の問題です。倫理的な痛みと向き合いながら仕事を続ける覚悟が必要なのです。

倫理観を支えるもの──制度、感情、そして個人の哲学

◆医療者の「選択」は常に倫理と隣り合わせ:
医療従事者が日々直面するのは、目の前の患者にとって何が最善かを判断することです。しかし「最善」とは何か?という問いは、必ずしも一義的ではありません。

・それは肉体的な延命か?
・精神的な尊厳か?
・家族の意向か?
・社会的な資源配分か?

多くの選択は、医学的根拠とともに、その人自身の倫理観や人生観、哲学に基づいてなされています。

倫理は“答え”ではなく“姿勢”である

トロッコ問題や臓器くじには正解がありません。大切なのは、正しい答えを出すことではなく、「なぜそう考えるのか」「その選択が患者や自分自身にどう影響するのか」を誠実に考える姿勢です。

倫理観とは、極限状況で“人間としてどうありたいか”を問い続けることなのです。

おわりに:倫理の答えは一つではない

医療の世界では、「多数を救うための少数の犠牲」「自らの手で患者の死を受け入れる選択」「正義と共感の間で揺れる気持ち」など、さまざまなジレンマが存在します。

臓器くじやトロッコ問題、カルネアデスの板といった思考実験は、極端で非現実的に見えるかもしれませんが、その極限状況にこそ、私たちの価値観がはっきりと浮かび上がります。

医療従事者がどんな場面でも人間らしくあろうとする限り、倫理的ジレンマと向き合う覚悟こそが、医療を「行為」から「営み」に昇華させる鍵なのかもしれません。

倫理の答えは一つではありません。しかし、自分なりの倫理に基づいた行動を、誠実に積み重ねていくことこそが、最終的に患者の“幸せ”に近づく道だと信じたいものです。

1 件のコメント

  • yakuzaic のコメント
         

    移植コーディネーターが足りないらしい

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