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血圧を下げすぎると危険? ― 適正降圧の考え方とJカーブ現象
公開. 更新. 投稿者: 52 ビュー. カテゴリ:高血圧.この記事は約6分32秒で読めます.
目次
- 1 血圧を下げすぎると危険? ― 適正降圧の考え方とJカーブ現象
- 2 なぜ血圧を下げすぎるとよくないのか
- 3 「Jカーブ現象」とは何か
- 4 研究が示す「下げすぎのリスク」
- 5 高齢者では「血流の自己調節」が効きにくい
- 6 腎臓に対する影響 ― 過降圧で腎血流が低下
- 7 心臓に対する影響 ― 「冠動脈灌流圧」が下がる
- 8 「血圧の下げすぎ」が起こりやすいケース
- 9 ガイドラインが示す「目標値」と「下げすぎへの注意」
- 10 血圧を下げすぎたときのサイン
- 11 臨床現場での「適正降圧」の考え方
- 12 実際の処方で注意すべきポイント
- 13 「血圧を下げすぎない」ための自己管理ポイント
- 14 まとめ ―「低ければ良い」ではなく「適正を保つ」
血圧を下げすぎると危険? ― 適正降圧の考え方とJカーブ現象

高血圧の治療では、「血圧は低いほど良い」と思われがちです。
確かに高血圧を放置すれば、脳卒中や心筋梗塞、腎不全など多くの合併症を招くことが知られています。
しかし、血圧を過剰に下げてしまうと、逆に臓器の血流が不足して障害を引き起こすことがあります。
本稿では、「血圧を下げすぎると良くない」と言われる理由を、医学的根拠と実際の臨床データを交えながら解説します。
なぜ血圧を下げすぎるとよくないのか
血圧とは、心臓が送り出した血液が血管の壁に与える圧力です。
つまり、血圧は単なる数値ではなく、臓器へ血液を送り届ける「駆動力」の役割を果たしています。
血圧を下げすぎると、
・脳
・心臓
・腎臓
など、血流を常に必要とする臓器に十分な酸素と栄養が届かなくなります。
これを低灌流(hypoperfusion)と呼びます。
主な影響
臓器:低血圧時に起こること
・脳:めまい、ふらつき、失神、一過性脳虚血発作(TIA)
・心臓:狭心症の悪化、心筋虚血
・腎臓:eGFR低下、急性腎障害(AKI)
・全身:倦怠感、冷え、集中力低下
このように、過度な降圧は臓器虚血のリスクを高め、長期的にはかえって死亡リスクを上昇させることが報告されています。
「Jカーブ現象」とは何か
高血圧の治療研究では、血圧値と心血管疾患リスクをグラフにすると「J字型」になることが知られています。
これをJカーブ現象(J-curve phenomenon)と呼びます。
つまり、
血圧が高いほどリスクは上昇するが、
あるラインを下回ると再びリスクが上がる
という関係です。
「J」の底辺(最も安全な範囲)が、臨床的な最適血圧(optimal BP)です。
研究が示す「下げすぎのリスク」
(1) INVEST試験(2006年)
・冠動脈疾患を持つ高血圧患者 約22,000人対象。
・収縮期血圧(SBP)が130mmHgを下回ると、死亡率や心筋梗塞のリスクが再び上昇。
・最もリスクが低かったのは SBP 130〜139mmHg の群。
➡ 冠動脈疾患を持つ患者では、血圧の下げすぎがかえって危険。
(2) ONTARGET試験(2008年)
・ACE阻害薬・ARBを比較した約25,000人の研究。
・拡張期血圧(DBP)が70mmHg未満になると、心血管イベントが増加。
・特に冠動脈疾患患者では、DBPが低いほど心筋虚血リスクが高まる。
➡ 心臓の血流は主に拡張期に流れ込むため、DBPを下げすぎると心筋に血が行かなくなる。
(3) SPRINT試験(2015年)
・血圧目標を「SBP<120」と「SBP<140」で比較。
・全体では120未満群の死亡率が低下したが、
・失神、低血圧、電解質異常、急性腎障害が多発。
特に高齢者や腎機能低下群では、副作用の方が問題となった。
➡ 「積極的降圧」は有効な人もいるが、すべての患者に安全とは言えない。
高齢者では「血流の自己調節」が効きにくい
人間の脳や腎臓は、ある程度の範囲内なら血圧が変化しても自動的に血流を一定に保つ「自己調節機能(autoregulation)」を持っています。
しかし、
・高齢者
・動脈硬化の強い人
ではこの調節域が狭くなっており、血圧を少し下げただけでも臓器血流が減少します。
そのため、高齢者では収縮期血圧110mmHg未満になるとめまいや転倒が増えると報告されています。
転倒は骨折や寝たきりの原因となり、生命予後にも影響します。
腎臓に対する影響 ― 過降圧で腎血流が低下
腎臓は血流依存性の臓器です。
腎血流が減ると糸球体濾過(GFR)が低下し、クレアチニン値が上昇します。
特に、降圧薬の中でもARBやACE阻害薬は輸出細動脈を拡張するため、
急激に血圧を下げると一時的に腎機能が悪化することがあります。
この一時的な上昇は可逆的であり、多くの場合は問題ありませんが、
・両側腎動脈狭窄
・脱水
・利尿薬併用
・高齢者の低循環状態
では腎前性急性腎障害を引き起こすリスクがあります。
心臓に対する影響 ― 「冠動脈灌流圧」が下がる
冠動脈への血流は主に拡張期血圧に依存しています。
したがって、拡張期血圧が60mmHgを下回ると、心筋に血液が届きにくくなり、
狭心症や心筋虚血を誘発する可能性があります。
特に以下のような人では注意が必要です。
・冠動脈疾患(狭心症・心筋梗塞既往)
・冠動脈バイパス後
・糖尿病性自律神経障害
「上(SBP)だけでなく、下(DBP)を下げすぎない」という考え方が重要です。
「血圧の下げすぎ」が起こりやすいケース
原因
・薬剤の多剤併用 ACE阻害薬+利尿薬+Ca拮抗薬などで過剰降圧
・利尿過多・脱水 夏場・発熱・下痢など
・食事制限過剰 減塩・減水が行き過ぎる
・透析中の血圧変動 除水による循環血液量減少
・起立性低血圧 自律神経障害、α遮断薬使用時
ガイドラインが示す「目標値」と「下げすぎへの注意」
| ガイドライン | 年齢・疾患群 | 目標血圧 | 注意点 |
|---|---|---|---|
| JSH2023(日本高血圧学会) | 一般成人 | <130/80 | 下げすぎでふらつきがある場合は調整 |
| 高齢者(75歳以上) | <140/90 | SBP 110未満は避ける | |
| ESC/ESH2023(欧州) | 65歳以上 | 120〜139/<80 | 120未満は推奨されず |
| KDIGO2021(腎疾患) | CKD患者 | SBP <120推奨 | ただし虚血・過降圧に注意 |
これらを総合すると、収縮期120〜130mmHg台が「安全かつ有効な範囲」と考えられます。
血圧を下げすぎたときのサイン
血圧が下がりすぎると、患者自身の身体にもサインが出ます。
・立ちくらみ・めまい
・朝起きた時のふらつき
・だるさ・冷え・集中力低下
・頻繁な転倒
・尿量減少・クレアチニン上昇
・動悸や胸部圧迫感
これらが現れた場合は、降圧薬の調整が必要です。
自己判断で中止せず、必ず医師や薬剤師に相談しましょう。
臨床現場での「適正降圧」の考え方
降圧目標は“個別化”が原則です。
すべての患者に「120未満」を当てはめるのではなく、
年齢・動脈硬化・腎機能・フレイルなどを考慮して調整します。
患者背景:推奨される降圧目標の目安
・若年〜中年(60歳未満): <130/80
・高齢者(75歳以上): <140/90(下限は110程度)
・冠動脈疾患あり: 120〜130/<70
・CKD・糖尿病: <130/80(ただし急降圧は避ける)
・フレイル高齢者: 130〜150/<90
実際の処方で注意すべきポイント
・ARB/ACE阻害薬の開始時は低用量から(腎機能・脱水に注意)
・利尿薬併用時は体液量と血圧を確認
・夜間服用で夜間過降圧→朝方の脳虚血を起こす例も
・起立性低血圧を訴える場合はα遮断薬や降圧薬の分割投与を検討
・血圧は一日の中で変動するため、朝・昼・夜の家庭血圧記録をもとに調整することが重要です。
「血圧を下げすぎない」ための自己管理ポイント
・朝の血圧を記録する(起床後1時間以内)
・立ち上がり時にふらつくときは記録しておく
・夏場・発熱・下痢時は水分摂取を増やす
・医師の指示がない限り、薬を自己調整しない
・家庭血圧が100mmHgを下回るようなら相談する
まとめ ―「低ければ良い」ではなく「適正を保つ」
血圧管理の目的は、「数字を下げること」ではなく、
臓器を守り、生活の質を保ちながら寿命を延ばすことです。
そのためには、「血圧を下げすぎない」という視点も同じくらい大切です。
Jカーブ現象が示すように、適正な血圧の範囲を保つことが、最も安全で予後を良くする道なのです。




